【シリーズ全4回】大阪府豊中市のインクルーシブ教育。南桜塚小学校訪問レポート#3

豊中市立南桜塚小学校訪問レポート 特別支援教育

ともに学ぶ教育を支える仕組みと成果「個々の子どもの姿を見る」

大阪府豊中市の「ともに学び、ともに生きる教育」の実践や歴史をレポートする【全4回】豊中市立南桜塚小学校訪問レポート。

第1回の記事では、豊中の教育の大きな特徴や考え方について、第2回の記事では、より具体的な実践方法について紹介した。第3回の今回は、この豊中の教育を支える仕組みやその成果について紹介していく。

看護師派遣の工夫

通常、障害や医療的ケアの必要な子どもが就学する際は、教育委員会のもとに就学相談がおこなわれ、保護者の希望も加味した上で就学先が決定される。障害の程度や自治体にもよるが、例えば重度心身障害のある子どもの場合、特別支援学校に進学する場合は教員の配置は児童2−3人に教員1人だが、地域の学校の特別支援学級に在籍することになると、児童8人に教員1人という配置となる。(※1)

特別支援学校への進学が好ましいと判断された場合でも、何らかの理由で地域の学校に就学する場合、こうした法律上の配置基準だけでは教員の数が手薄になってしまうことがあり、その場合、現場からの要請で支援員や看護師の配置ができる仕組みがある。

豊中では50年以上に渡り原学級保障による就学が実践されているが、全国でも、障害や医療的ケアがありながら、地域とのつながりや同世代の子どもたちとの関わりを求めて居住地の学校に就学するケースが少しずつ報告される昨今。どの地域でも課題になるのが、この支援員や看護師の確保だ。

筆者が住む長野県佐久市でも、毎年2月頃になると翌年度の支援員や学校看護師の募集が一斉に出される。10万人都市の佐久市で募集に出される支援員の数は60を超え、その数に毎年圧倒されるが、中でも頭を捻ってしまうのが学校看護師の待遇である。時給は病院勤務に比べるとかなり低く、勤務時間も学校が終わる15:00までと短いことに加えて、対象児童の登校により勤務日や時間が変わるため、雇用は安定しない。よっぽどの志がある方でないとなかなか応募しないであろうことは想像に固くない。

学校看護師

豊中市でも、以前は同じような課題を抱えていたという。ところが令和3年度からは、教育委員会が市立病院と連携し、学校看護師を市立病院に配属とする仕組みを実施するようになったという(※2)。これにより、病院からシフトを組んで複数の看護師がいくつかの学校に巡回で配置されるようになり、結果的に一人の対象児童に多くの看護師さんが関わってくれることになった。どの看護師さんも子どものことを知ってくれることで、緊急時の連携にも役立つだけでなく、子どもたちにとってもたくさんの出会いが生まれる。さらに、看護師派遣審議会で十分な審議の結果派遣されるので、一件一件その必要性が問われることにも意義が生まれるという。

配属が市立病院となるため、学校看護師として独自に募集する場合に懸念される待遇も不安定性も一気に解消される。この画期的で合理的な施策は、ぜひ他の自治体の教育委員会にも導入を検討してほしい。

豊中市の学校事務共同実施

特別支援教育のみならず、学校全体として教員不足や教員の働き方改革が叫ばれて久しいが、問題の一つに、膨大な事務作業が指摘されている。

この問題への解決策の一つとして、豊中市では2013年から全市的に学校事務の共同実施が開始された(※3)。南桜塚小学校の3階に学校事務共同実施支援室が設置され、市内の学校事務のうち、教科書の配布や学籍に関する業務、その他共同処理することが効果的であると教育委員会が定める事務を共同で行い、各学校の取り組みや課題を共有している。筆者が見学に伺った日も、別の学校から学校事務共同実施支援室を訪れる事務員の方の姿を拝見した。

学校事務共同実施

#1#2でお伝えしてきたように、一人ひとりの子どもの姿をしっかりと見て対話をしながら進める教育を実現するためには、必ずしも教員がやる必要のない事務作業を効率的に進め、できるだけ子どもたちと向き合う時間を確保するという地道な改革も必要不可欠だ。

豊中市独自の教員人事

さらに、豊中市を含む5つの市町で独自に教員人事を実施していることも、豊中の教育を守っていくことに貢献している。大阪府豊能地区の3市2町(豊中市、池田市、箕面市、豊能町、能勢町)では、2012年以降、大阪府からの教職員の人事権の移譲を受け、以来独自の教員採用選考を続けている。(※4)

南桜塚小学校の橋本校長によると、「この地域のために」という意識をもって受験して欲しいということが一つ。そして、やはり豊中で小中学校を過ごしていると、その子にあった特別を考えること、教室に多様な学びを取り入れることが、本当に当たり前のこととして染み込んでいるということが大きいのだそう。

ともに学ぶ教育は、支え合う空気感が生まれることによって全体の成績や学力も上がるといった成果も一部では語られている。しかし、どうだろう。ともに学ぶ感覚が当たり前に染み付いた大人が新しい世代を育てていく。このことそのものが、豊中が続けてきた「ともに学び、ともに生きる」教育の成果の一つと言えるのかもしれない。

形態食が必要な児童のために給食を取り分けている様子

平均点は教育の成果なのか

さまざまな工夫や仕組みにより、ともに学び、ともに生きる教育を実現している豊中の小中学校だが、学力という点で疑問の目が向けられることもあるのだという。疑問を投げかけられるきっかけの一つが、全国学力・学習状況調査(※5)、通称CRTテストだ。文科省が全国の子どもの学力状況を調査するために2007年から開始し、例年都道府県別の正答率が公表される(※6)。

橋本校長「豊中においては当然なんですけども、障害のある子たちが通常の学級で100%学んでいるわけで、全国の学力学習状況調査も受けてるんですね。例えば筆記具が持てない子は、代筆でやりますね。代筆とか、点字版や文字盤を使うとかこれは高校入試も認められてますんで、そうやって全員受けるんですね。そしたら点数取れない子もいてます。全く取れない子も。でも受けるっていうのが当たり前になってるんですよね。そうすると、『ともに学ぶのはいいんやけども、平均点気にならないんですか?』って言われるんですよ。」

全国学力・学習状況テストの結果、大阪はいつも45番前後。教科によっては上位にくいこんでいるものもあるが、基本的な順番でいうとかなり下のほうだ。しかし、橋本校長はこの平均点の順位について気にしたことはないと言う。

「気になりませんかと言われたらね…どう言うたらいいんでしょうね。ただ、気にしたことはないですね。一応教育委員会は分析してくれと言うから、分析を書いて保護者には配ってます。配ってますけども、そんなもんに対してはほとんど価値は感じてないですね。ほんで、気にしてませんと言っても、それで質問は終わらないですよね。『なぜなんですか?』とこうきますよ。まったく意識してないから、どう言おうかなと考えたんです。ただね、豊中で長年勤めてると、私たちの中から出てくるものありますわ。『平均点で都道府県や学校の値打ちを見ていったらね、個々の子どもの姿みえなくなるでしょ』と。」

10人ずつのグループ分けをしてテストを受け、Aグループの平均点が90点、Bグループの平均点が60点だとすると、表面上Aグループは問題がないように見える。一方Bグループは平均点がふるわなかったと判断され、じゃあ追加で特訓しようという話になる。

しかし、Aグループの一人ひとりを見てみると、9人が100点を取って1人が0点だったとしても平均点は90点になる。

橋本校長「平均点というのは、全然個々の子どもの姿を見てないですよね。例えば平均点の順位が10番になったからといって、それが成果かと。それ、たまたまでしょうと。平均点を見ても、個々の子どものことは何もわからないんです。」

話は、現代の教育のあり方にも及んだ。

橋本校長「校長研修でね、都道府県の全国の学力テストでいつも上位にきてる県を、講師にきた先生が『優秀県ではね…』って言うんです。私ね、最初この“優秀県”というのが何のことか意味がわからなかったんですよ。優秀っていうのは、それはもうイコール、全国の学テで上位にくる県ということやったんです。優秀県ではICTをフル活用して成果をあげてる、ゆう話やったんですけど、画用紙や模造紙を使う豊中の教育を見下したような印象をうけてしまいましてね。以前はもっともっと豊中に合う内容の研修やったり、豊中の教育を一歩進めるような研修やったはずなんですけどね。そういうところも何かお手軽になってきたなと思います。」

これからの教育の成果をはかるものは、一体なんなのか。この話は、おそらく各都道府県の教育委員会でも、文科省としても、描かれているビジョンがあまりにぼんやりしているような気がしている。

ともに学び、ともに生きる教育の本当の成果

令和6年度から「合理的配慮」の提供が民間事業者にも義務化される。これに伴って内閣府では合理的配慮事例集を掲載したり(※7)、ポータルサイトを設置したり(※8)と普及に取り組んでいる。ところがこの合理的配慮の義務化を1ヶ月後に控えた2024年3月、車椅子の方が映画館で映画を鑑賞したあとにスタッフからかけられた言葉を巡ってX上で大炎上がおこった。

情報が錯綜しているためここでは詳細には触れないが、この炎上で語られる「合理的配慮」の理解があまりにも内閣府の定めるものと乖離していて愕然とした。(※X上の投稿はすでに2024年3月24日現在非公開とされており、確認できなかった)

「合理的配慮」とは、障害のある人から、社会の中にあるバリアを取り除くために何らかの対応を必要としているとの意思が伝えられたときに負担が重すぎない範囲で対応することが求められるもの
 
                                                              出典:障害者の差別解消にむけた理解促進ポータルサイト(※8)

つまり、障害のある人が生活上の困難に直面したときに、その意思を伝えることで、双方が話し合いを行い、無理のない範囲での解決策をみつけることが合理的配慮であって、一方的にどちらかが何かを決めることではない。

ところが、炎上したXのツリー内では、「スタッフ側の事情もわからずに障害者の希望だけを押しつけるのはわがまま」といった内容のコメントが目立った。しかし、障害者が困難に直面したとき、希望を伝えることをしなければ、そもそも合理的配慮は始まらない。本件の問題点は、スタッフ側の事情と障害者側の事情をきちんと提示しあってのコミュニケーションが不足していたことだと思うのだが、X上の大きな声で論点がずれてしまい、圧倒的な障害者叩きのような流れになってしまったことを、筆者は悲しい気持ちで眺めていた。

同時に、「合理的配慮」という言葉や枠組みに足を取られて、大事なことが見えなくなっているようにも感じられる。

大事なのは、合理的配慮がなんなのかということではない。
それが障害者のわがままかどうかを判断することでもない。
責任の所在が当事者なのか事業者なのかを決めることでもない。
大事なのは、障害者も、事業者も、隣にいる人も、近くにいる人も、あなたも、私も、一人の人間同士として、想像力とリスペクトを持って話し合い、感謝しあって生きることだ。
それは、普通にあなたや私が生活するうえで大事なことと、何ら変わりはない。

豊中市立南桜塚小学校に、特別な場所はない。
すべての場所はみんなの場所であり、すべての子が特別で、すべての教員がすべての子どもの担当だ。教員たちも児童生徒たちも、それを当たり前のこととして日常を送り、必要があればみんなが手を貸すし、ときに自分も手を貸してもらう。それが自然と身についた人たちが、今度は豊中の教育を支えるべく教員となる。

言ってみれば、合理的配慮という言葉がうまれるよりもずっと前から、豊中の学校では当たり前にみんなが過ごしやすいように考え、アイディアを出し、日常が流れている。

これが、日本全国に広まったらどうだろう。
世界中に広まったら、どうだろう。

合理的配慮を民間事業者に法的に義務化しても、それを下支えする「共に生きる」日常が、今の社会には圧倒的に足りていない。誰もが当たり前に配慮しあい尊重しあう日常は、あなたや私が救われる社会でもあるはずだ。だからこそ、豊中は日本の、もしくは世界の先進モデルとなりうるのではないだろうか。

次回#4(最終回)では、豊中がたどってきた歴史とこれからの展望について執筆する。

注釈

※1 学級編制及び教職員定数に関する関係法律https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/051/shiryo/attach/1366330.htm

※2 市立豊中病院 学校看護師についてhttps://www.city.toyonaka.osaka.jp/hp/partnership/gakkoukangosi.html

※3 豊中市立学校の管理運営に関する規則
https://www1.g-reiki.net/toyonaka/reiki_honbun/k205RG00000660.html

※4 大阪府豊能地区教職員人事協議会
https://toyono-jinjikyo.com/index.html

※5 文部科学省 全国的な学力調査
https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/gakuryoku-chousa/index.htm

※6 国立教育政策研究所 令和5年度 全国学力・学習状況調査 調査結果資料 https://www.nier.go.jp/23chousakekkahoukoku/factsheet/prefecture-City.html

※7 内閣府 合理的配慮事例集 
https://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/jirei/

※8 障害者の差別解消にむけた理解促進ポータルサイト
https://shougaisha-sabetukaishou.go.jp/

参照

豊中市議会議員 今村正のホームページ 市立豊中病院による学校看護師派遣事業についてhttps://www.komei.or.jp/km/toyonaka-imamura-tadashi/2021/03/11/6766/

ruizakoji

フリーランスで執筆・広報など。エッセイ・フィクションも。関心事はアートと健康、障害、医療、文化人類学。TEDxSakuファウンダー。長野県佐久地域を拠点に、タイ・インド移住を経て、2021年からフィリピンと2拠点生活。重心児含む4児の母だが、一時的にワンオペ3人育児中。無意味の意味を信じる心の露出狂。

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