ともに学び、ともに生きる教育の特徴「特別な場所をつくらず、その子にあった特別を」
インクルーシブ教育という言葉が広く認知されるずっと前から「ともに学び、ともに生きる教育」を実践してきた自治体がある。
大阪府豊中市だ。
障害や医療的ケアがある子も、発達特性がある子も、不登校がちな子も、国籍が違う子も、みな当たり前に地域の学校に通っている。
なぜそのような教育が可能なのか。
また、地域の学校に通わせたくても条件が整わずに通えない障害児や医ケア児がいる他県との違いはなんなのか。
実際に見学してきた内容を、その特徴(#1)、工夫と実践(#2)、仕組みと成果(#3)、歴史と課題(#4)の全4回にわたってレポートしていく。
1回目の今回は、豊中市で長きにわたって実践されてきた「ともに学び、ともに生きる教育」の特徴について主にレポートする。
特別な場所をつくらんことでしょうね
橋本校長「かなちゃん、もう始まるがな。遅れる遅れる」
児童「間に合う間に合う。どうせ怒られるんだったらゆっくり行ったほうがいいやん。」
筆者が訪問したその日、大阪府豊中市立南桜塚小学校の校長室では、休み時間ということもあって、何人もの児童がいた。その中で、休み時間終了のチャイムが鳴っても教室に戻らなかったのが冒頭のかなちゃん(仮名)だ。かなちゃんは橋本校長に抱きかかえられて一度は廊下に出たものの、結局校長室に戻ってきて、悠然とお絵描きをしていたが、やがて担任の岡村先生が呼びにくると、すんなりと手を引かれて教室に向かった。
「もう先生が呼びにくるって分かってるんですよ。分かってて、いつ迎えにくるかなあってやってるんです。最初から教室にいてるとなんにも面白いことないからね。」
穏やかに語る橋本直樹校長と児童の距離はとても近い。友達同士のように会話をしたり、かと思えば校長先生がツッコミをいれたりしながらも、絶妙に先生としてのポジションを保っている。児童と先生の間に信頼関係があるのが一目瞭然だった。
橋本校長「私が赴任した当初は、教室にいられなくなると外に出ちゃうんですよ。そうすると危ない言うて追いかけるでしょ。それで追いかけられると道をぱーっと渡ったりして、それがまた危ないいうね。それがしんどかったから、授業中であってもちょっと休憩できる場所として校長室を開放したんです。教室にいなかったら保健室かここ(校長室)にいるというね。そうしたら誰も外に出なくなりましたね。」
豊中市の小中学校は、支援学級に在籍しながら、通常学級に混じって学ぶことを保証する「原学級保障」が基本だ。支援担の先生が学級に混じって全体を見守り協力しあうことで、すべての子が同じ学級で学べる仕組みを実現している。
橋本校長「(支援学級などに)可愛い名前つけるでしょ、すくすくルームやったりキラキラなんとかやったりね。そこで休憩できますよって言ったって、周りの子どもにとったら、やっぱり”教室に入りにくい子”、“勉強わからん子”が行くとこやから自分たちには関係ないと思ってしまう。だから行きたくない場所になるんです。できたら特別な場所は作らんことでしょうね。誰でも行ける場所、誰が行ってもいい場所。そうすると子どもたちにとっても自分がしんどなったら行く場所があるんだよっていうと楽なんですよね。」
34年間豊中市の中学校の教員として「ともに学び、ともに生きる」教育に関わり、その最前線で活動した齊喜慶三さんの講演録にも以下のような言葉があった。
僕は教員34年選手なんですけど、障害を持っている子がいじめられたシーンに一度も出くわしたことがない。これは自信があるんです。抜き出しとか取り出しとか、別室で指導するようになると、いじめが起こる可能性が出てきますねん。
齊喜慶三さんの講演録
長野県で小学校に通う筆者の娘に支援学級のイメージを聞いてみると「違う世界の場所って感じ」と言っていた。支援学級に在籍する児童への周囲の心無い反応に、密かに心を痛めていた彼女は、すべての子どもが同じ教室で過ごす豊中の学校が、どのようにそれを実現しているのか興味をもち、共に訪問した。
みんな特別やったね、ということが一番ええ
「特別な場所をつくらないこと」と訴える橋本校長だが、一方、子どもたちに対して特別は大いにありだと主張する。
橋本校長が南桜塚小学校に赴任してまもなく、怒りの電話をかけてきたお母さんがいたという。お子さんは小さい頃から大好きなキーホルダーを学校に持っていくことで、授業中に落ち着くことができるが、担任に「学校に必要ないものを持ってこないように」と言われ、それに抗議する電話だった。橋本校長はお母さんの話を丁寧に聞き、「授業中であってもキーホルダーを持っていることで落ち着くんやったらええやないですか」と言い、担任にもそう伝えた。「落ち着くんやったら50個でもなんぼでもええですよ。箱にジャラジャラ入れてきても、授業中出しててもいいですよ」そう伝えると、母親はゲラゲラ笑ったという。
橋本校長「学校に持ってきてはダメなものとかいいものとかいうものは、一人ひとり違いますよね。」
「さっきここ(校長室)におった男の子はね、けんちゃん(仮名)いうんですけど、ゴキブリが大好きなんですよ。もういろんな種類のゴキブリが好きで、マダガスカルゴキブリなんていうこんな大きいゴキブリなんかも持ってくるんです。けんちゃんはゴキブリをケースに入れて一緒におったら落ち着くんですよ。だからゴキブリオッケーですよね。でも、みんながみんなゴキブリ持ってくってなったら、必要か?ゴキブリ?って話になりますよね。この子はいいけども、君はいらんやろってなりますよ。けんちゃんはゴキブリが必要なんですよ。」
校内を見学させてもらったときにけんちゃんのクラスを通りかかると、廊下にはちゃんと「ゴキブリの家」というゴキブリの居場所があった。これも担任の先生の配慮だという。
橋本校長「以前勤務していた中学校で、学校に来れない子の家に担任として行ったんです。で、『今日ここで話したことが先生はすごく嬉しかったから、クラスのみんなに伝えていいか』と聞いたうえで、クラスでお話しました。そしたらね、クラスの子が『私ももし学校にいけなくなったりしたら、ああやって先生が来てくれて、こういう話したよってクラスの子たちに伝えてくれて、ああいうふうに大事にされるんやったら、これからしんどいことがでてきても安心です。』ってそう言ったんですよ」
ともすると、児童との個別のやりとりや対応を隠しがちな教育現場だが、できる限りオープンにしていくことで、その子のことを周りに知ってもらうことができるだけでなく、周りの子どもたちにも心理的安全性が保たれるということにはっとしたと橋本校長は言う。
「よう見たらみんな特別やったね、ということが一番ええやろうな、と思います。その子にあった特別があると思うんですよ。この子にとってはこんな特別が必要やとか、それはみんな違いますよね。」
「自分とは関係のない場所」と感じるところから差別やいじめは始まるのだろうし、逆に、「いつか自分も助けてれもらえる場所」と思うことで、障がいや発達特性のあるなし関係なく助け合う仲間になるのかもしれない。
「心は自分が決める」1年生の言葉に気付かされる
橋本校長「さっきのけんちゃんはね、1年生のときに全然教室いかないんです。ほんでね、担任の先生に聞いたら、担任が工夫して、校長室に行っていいっていう“校長室回数券”っていうのを作ってくれたんです。ところがね、それ1枚で15分校長室に行っていいっていうカードやったので、けんちゃんに『15分で教室に戻ろうという気持ちになるか』と聞いたんです。」
「そしたらね、『わからない』って言ったんですよ。あっそうやな、わからんよなって思ったんです。人の心って5分で戻るわってなるかもしれないし、3時間かかるかもわからんし、今日は無理やってなるかもわからんし、『いやそんな担任の先生にけんちゃんの心を決められるのはいややなあ』って言うたんですね。けんちゃんは黙ってたんですけど、『けんちゃんの心を決めるのは誰かなあ?』って言うてみたんですよね。そしたら『心は自分が決める』って言うたんです。1年生のけんちゃんがですよ。そ…そうやな!って言って、すぐパソコンで打ってプリントアウトして貼ったのがそれです。こどもはいいこと言ってやろうとかね、そんなんではないと思いますわ。なんも用意してない中でふっと出てくる言葉とというのがなかなかおもしろいし、これはいいぞってね。」
その後、来る人来る人にその言葉を紹介する橋本校長を見て、けんちゃん自身もなんとなくその言葉をいい言葉だと感じるようになったという。橋本校長は楽しそうに語ってくれたが、ふいに出てくる子どもたちの言葉を拾い上げる教員や大人がいる環境が大きいのではないかと感じた。
「子どもとのやり取りで、そうなんだっていうことがいっぱいあるんですよね。結局、固いこと言うなよと。何を固いこと言うてんねん、何やねんそれっていうことなんですよ。ゆるーくやれば、学校は確実に変わっていきますよ。」
すべての教職員がすべての子どもの担当なんです
校長先生にお話を伺っている間、代わる代わる先生方が校長室を覗き込み、児童を探したり、逆に校長先生が児童の名前を出して声をかけたりする場面が度々あった。
「あ、こうたは?」
橋本校長が教頭先生に声をかけたのは、学校に来にくいこうたくん(仮名)を教頭先生が迎えにいって帰ったときだった。
橋本校長「こうたは、家に迎えに行ったら行ける日もあるし、お母さんから来て〜いうて電話がかかってくることもあるし。今日は教頭先生がちょっといってきます〜言うて行ってきてくれたんです。もう手が空いている先生が行く。子どもたちはね、どの先生でも『来てくれた〜』言うて行けるんですよ。特定の先生じゃないとダメ、じゃないんですよね。すべての教職員がすべての子どもの担当なんです。これ、徹底やでと。」
廊下で授業中子どもを見かけた先生が「授業中だぞ、教室へ入りなさい」という声かけをしたり、「何年何組?」と尋ねて担当の先生を呼んでくるようなことは間違ってもない、と橋本校長は断言する。
「それは絶対ないですし、絶対駄目です。もう最初に気づいた先生が『どうした?』と声をかける。そもそも大概は廊下ですれ違っても『あ、校長室か?』とかそんなんで終わりですよね。だいたい先生たちもどこへ行くのか分かってるから。普段教室から出ない子に出会ったら『どうしたん?』という声かけになっていくわけです。訳を聞くという。」
実際、学校見学をさせていただく中でも、どの教室でも子どもたちは気軽に教員に話かけ、見ていてどの方が担任でどの方が支援担でどの方が管理職なのかわからなかった。
「あの先生じゃないとだめ」とか、「あの子は仲間であの子は違う」とかいった垣根が一切ないがゆえに、南桜塚小学校全体が外に対してもゆるやかに開けていて、訪問者である私たちにとっても居心地がよい場所に感じた。
国連「障害者権利委員会」からの勧告を受けて
2022年9月、日本は「障害者権利条約」(※1)をめぐる初めての審査において、国連の障害者権利委員会からいくつかの勧告を受けた。(※2)
勧告では、日本の実態が障害者権利条約の趣旨に沿わないと指摘。中でも筆者が注目したのが、日本の分離教育に対する勧告だ。聞き慣れない人も多いかもしれないが、障害のある児童生徒を別の環境に分離して教育することを「分離教育」と呼び、地域との広いつながりや社会経験の喪失につながるとして問題視されている。
この勧告をうけて、豊中市はにわかに注目を浴びた。
豊中市では、全国的に養護学校が義務化される1979年に5年も先駆けて、重度障害のある子どもの就学保障運動が広がっている。重度障害児の就学を確保するための「ひろがり学級」の設置が開始された1974年にはすでに、「すべてのこどもたちを地域の学校へ」という考えのもと、一部の特別に設置された学級ではなく、校区の学校へ子どもを帰す運動が始まりつつあったというから驚きだ。
すべての子どもの就学を保障するために拠点を整備したにもかかわらず、今度はやはり地域の学校へ、という動き(=原学級保障運動)に転じたことについて、関係者には相当の葛藤があったという。
それでも重度障害児学級の拠点化が、地域の子どもたちとの関係を切って差別や孤立をもたらすことを食い止めるために、葛藤をかかえながらも「ともに学ぶ」必要性が確認されていった形となった。
筆者が住む長野県佐久地域では、養護学校が設置されたのは1989年であり、それまではいわゆる重度障害のある子どもたちの就学が保障されていなかった実態があることを考えると、豊中の動きがいかに先進的だったかわかる。(上表)
以後節目節目で様々な転機を迎えながら、今日にいたるまで「ともに学び、ともに生きる」教育を掲げ、すべての子どもたちを地域の学校で受け入れることを連綿と続けてきた。
完璧なインクルーシブなんてありえないですよね
豊中の独自の実践は、冒頭でも触れた通り50年の歴史が下支えしているものだが、ここ数年、外に発信することに注力し始めた、と橋本校長は言う。本シリーズ#4で詳しく書く予定だが、橋本校長は、この豊中の実践が当たり前ではないこと、そして努力して維持していかなければ壊れてしまうかもしれないという危機感がにはある。
最近は発信の効果もあり、国立特別支援教育総合研究所や大学の研究者などが豊中にも視察にくるようになった。
橋本校長「東大の教育学の権威で小国喜弘さんいう方がおられるんですが、その方が何回かここにきてはるんですよ。もうすぐまたきはりますけどね、その小国さんが豊中のことを『フルインクルーシブ教育』いうんですよ。でね、私も言ったんです。豊中をフルインクルーシブ教育いうんは違いますよと。フルいうと、もう完璧なイメージですが、我々はそんな言葉は使ったことがないと。ちょっと抵抗ありますね。」
確かに、インクルーシブという言葉を使う時、気をつけたいのは、何かを包容すると、一方で何かを取りこぼしている可能性があるということだ。障害の有無だけでなく、病気や医療的ケア、国籍、民族、宗教、言葉、ジェンダー、経済状況や居住地域…ありとあらゆる属性や特性がある。自分が関わっていたり関心のあるものだけではなく、自分は気づけていない人たちがいるかもしれないし、自分には想像もつかない困難を抱えている人がいるかもしれないということを少なくとも忘れないでおくことが大切だと思う。
ややこしいが、インクルーシブという言葉が存在すること自体が、異質なものがそれぞれに存在し排除されているということの象徴でもある。本当にあらゆる特性や属性の人たちが尊重される世界では、そもそもインクルーシブという言葉は意識されないのではないか思うのだ。
橋本校長は続けた。
「完璧なインクルーシブなんてありえないですよね。フルって何なんですか?って小国先生に言ったらね、文科省の言う”インクルーシブ教育システム”と、明らかに違うんだっていうことを示したいと。それを単にインクルーシブ教育というところにとどめとくとね、いっしょくたにされるということで、敢えてフルインクルーシブと。それやったらまあ、という事になったんです。」
豊中の実践は、あくまでもすべての子どもが「ともに学び、ともに生きる」ことを目的に据えて様々な工夫や配慮が重ねられてきた教育だ。これは、「障害の有無を問わずあらゆる可能性のある児童・生徒が同じ教室で一緒に学ぶことであり、誰もが一緒に学びながら、個別のニーズを満たすことができる教育制度を構築すること」という障害者権利条約の中で説明されるインクルーシブ教育とほぼ同義だと考えられる。
しかし文科省が唱えている「インクルーシブ教育”システム”」は、通常学級から通級、特別支援学級、そして特別支援学校と、障害種別や程度に応じた就学保障の場を連続的に確保することを指している。この文科省の考え方は、障害者権利条約の中で説明されるインクルーシブ教育とも、豊中が実践してきた「ともに学び、ともに生きる」教育とも大きく異なる。
言葉を選ばずに言ってしまえば、豊中においては1974年に起こった就学保障運動に当たる考え方であり、全国的には1979年に養護学校が義務化された考え方が、令和5年日本の文科省の言う「インクルーシブ教育システム」なのである。(下図)
冒頭に掲げた国連の障害者権利委員会からの勧告に対しても、その姿勢を明確に表明しており、日本の施策はむしろ「インクルーシブを推進するもの」(永岡大臣発言まま)、という発言をしている時点で、コミュニケーションとして大きく食い違ってしまっていると言える。(※4)
本シリーズは、豊中市の教育の実践やその歴史、そして課題点を明確にすることで、教育に携わる多くの人たちにあらためて教育の向かうべき方向性を再考してもらう一助になればという思いで執筆していく。
次回 #2では、どのようにしてすべての子が同じ場所で過ごす教育を実践しているのか、その具体的な工夫や考え方についてレポートする。
注釈
※1 障害者権利条約
障害者権利条約」は、障害者の人権と基本的自由について2006年に定められた国際条約で、186カ国(2023年4月時点)が批准している。
https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jinken/index_shogaisha.html
うち教育関係の主要な条文https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/054/shiryo/08081901/008.htm
※2 障害者の権利に関する委員会 第 27 会期 日本の第1回政府報告に関する総括所見https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/100448721.pdf
52.障害者を包容する教育(インクルーシブ教育)に対する権利に関する一般的意見第4号(2016年)及び持続可能な開発目標のターゲット4.5及び4(a)を想起し 、委員会は以下を締約国に要請する。 (a) 国の教育政策、法律及び行政上の取り決めの中で、分離特別教育を終わらせることを目的として、障害のある児童が障害者を包容する教育(インクルーシブ教育)を受ける権利があることを認識すること。 また、特定の目標、期間及び十分な予算を伴い、全ての障害のある生徒にあらゆる教育段階において必要とされる合理的配慮及び個別の支援が提供されることを確保するために、障害者を包容する質の高い教育(インクルーシブ教育)に関する国家の行動計画を採択すること。 (b) 全ての障害のある児童に対して通常の学校を利用する機会を確保すること。また、通常の学校が障害のある生徒に対しての通学拒否が認められないことを確保するための「非拒否」条項及び政策を策定すること、及び特別学級に関する政府の通知(※3)を撤回すること。 (c) 全ての障害のある児童に対して、個別の教育要件を満たし、障害者を包容する教育(インクルーシブ教育)を確保するために合理的配慮を保障すること。 (d) 通常教育の教員及び教員以外の教職員に、障害者を包容する教育(インクルーシブ教育)に関する研修を確保し、障害の人権モデルに関する意識を向上させること。 (e) 点字、「イージーリード」、聾(ろう)児童のための手話教育等、通常の教育環境における補助的及び代替的な意思疎通様式及び手段の利用を保障し、障害者を包容する教育(インクルーシブ教育)環境における聾(ろう)文化を推進し、盲聾(ろう)児童が、かかる教育を利用する機会を確保すること。 (f) 大学入学試験及び学習過程を含め、高等教育における障害のある学生の障壁を扱った国の包括的政策を策定すること。 出典:障害者の権利に関する委員会第27会期日本の第1回政府報告に関する総括所見(※2)
※3 特別支援学級及び通級による指導の適切な運用について(通知)https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/4475/00431549/01_monka_0494.pdf
※4 永岡桂子文部科学大臣記者会見録(令和4年9月13日)https://www.mext.go.jp/b_menu/daijin/detail/mext_00300.html
参考資料
朝日新聞デジタル:強制入院や分離教育など禁止勧告 国連が日本の障害者差別巡り初審査https://digital.asahi.com/articles/ASQ9F4JY8Q9DUTFL01S.html?iref=pc_photo_gallery_bottom
誰もが安心できる学校に「インクルーシブ教育」と「国立市教委の取り組み」を東大・小国教授に聞く
https://news.yahoo.co.jp/articles/65a89aca3b5fc69886ddf186fe9b829c726586a0
「インクルーシブ教育の源流ー1970年代の豊中市における原学級保障運動」二見妙子・著 現代書館