ともに生き、ともに学ぶ教育のたどった歴史とこれからの展望「トップの決断で現場は変わる」
大阪府豊中市の「ともに学び、ともに生きる教育」の実践や歴史をレポートする【全4回】豊中市立南桜塚小学校訪問レポート。
第1回の記事では、豊中の教育の大きな特徴や考え方について、第2回の記事では、より具体的な実践方法について、さらに第3回の記事では、豊中の教育を支える仕組みや成果について紹介した。最終回である第4回では、豊中の教育現場がたどってきた歴史に触れながら、これからの課題について考える。
首長一つで変わる教育現場「もう以前の大空ではありません」
少し前に、「みんなの学校」というドキュメンタリー映画が話題になった。すべての子供の学習権を保障することをモットーに掲げる大阪市立大空小学校を題材とした映画で、平成25年度の文化庁芸術祭大賞を受賞し、映画に登場する木村校長先生はその後全国で講演に呼ばれるなどして一躍時の人となった。何を隠そう、筆者も6年ほど前、当時住んでいた地域で上映会を企画して鑑賞した。
豊中が掲げる「ともに学ぶ教育」と通じる理念で教育を実践し、一般的には問題児とされるような児童が学校に居場所をみつけて成長していく感動のドキュメンタリー映画だが、南桜塚小学校の橋本校長によると、この大空小学校に今、異変が起きているという。
「今、大阪市内は苦しなってるんですよ。例えば、ここ(豊中市立南桜塚小学校)に取材したい、いうたら我々は直接受けるんです。それで事後報告を教育委員会にするんですよ。でも大阪市は必ず教育委員会を通すようになってしまったんです。そしたらもうそこでストップしちゃうんです。」
実は今回も当初、豊中市の学校を見学したいと豊中市教育委員会に問い合わせをしたところ、個人の視察はうけていないと断られた経緯があった。ただ、電話口に出てくださった担当の方が、学校に直接問い合わせれば許可がでるかもしれないとアドバイスをくれ、南桜塚小学校に連絡をしたのだ。
橋本校長によると、「みんなの学校」の映画を見て大空小学校を見学したいと連絡した教員らが、最近では見学を断られて豊中市の学校見学に流れてくる傾向にあるという。映画になって全国に存在を知られ、当時の校長は講演活動に飛び回っているけれども、本拠地である大空小学校の現在の管理職の先生方は「もう以前の大空ではありませんので来きていただいても…」と言葉を濁すのだという。いったいなぜなのかと尋ねると、橋本校長は「やっぱり大阪市の方向性とは違うんでしょうね。」と声のトーンを低めた。
コロナ禍初期、緊急事態宣言下の教育施策をめぐり、当時の大阪市長が教育委員会や現場を飛び越えて突然マスコミにオンライン授業を基本とする旨の記者会見をしたことがあった。いきなりマスコミで記者会見が始まって驚いた保護者から学校に問い合わせがあったが、校長すらそのことを知らされておらず、現場は混乱。当時の校長の一人は、市の窓口からメールを送ったが返事がなかったため、提言書を作成して送付した。当時の市長はこれに「教育のことをわかっていない」とし、その校長を処分したという。(※1)
この一件について問題なのは、コロナ禍における教育方針の良し悪しではない。ポイントは、教育現場で子どもたちと接している教員や、経験値や集合知を持ち合わせた教育委員会を飛び越え、行政のトップの決断で現場はどうにでも変わってしまうという点だ。
豊中は今、これからの50年を見据えて、どのように「ともに学ぶ」教育を守っていくかを考えていかなければいかない岐路に立たされている。
豊中の人権教育の軌跡と行政
豊中の人権教育は、同和教育、すなわち部落解放教育から始まった。
「同和地区」や「部落」という言葉を聞き慣れない若い人も多いかもしれないし、現在ではほとんど意識されることがなくなってきているが、日本の歴史的な身分差別によって社会的に地位が低い状態を強いられた人々が居住する地域が、同和地区または部落と呼ばれた。さらに、地域に根をおろしてしまった身分差別を解決すべき社会課題として「同和問題」または「部落解放問題」などと呼び、この差別問題をなくそうと学校教育に取り上げられる地域も多くあった。(長野県出身の筆者も小学校時代に同和問題について授業をうけた覚えがある。)
大阪は日本の中でもこの部落解放運動が盛んな地域で、部落開放同盟の本部も置かれている。以前は解放同盟と自治体が連携し、解放会館という拠点が提供されていたが、市長や知事の方針転換によって、任意団体である解放同盟に特別扱いはできないということで名称が変更されて最終的には廃止。そのはけ口として1996年にHRCビル(Human Rights Center ビル)が建設されたという経緯があるのだそうだ。
さらに、大きな被差別部落として知られる地域で市民の土地を提供して作った小学校跡地に、1985年、リバティ大阪(大阪人権博物館)という建物が開館した。世界中から人々が見学に訪れ、人権教育の大切な拠点として親しまれたが、2015年、大阪市による突然の市有地明け渡し命令により裁判に発展し、2020年に閉館を余儀なくされたという。
橋本校長はこうした例をあげながら「市長や知事が変わるとこんなにも変わってしまう」と嘆く。その口ぶりからは、「ともに学ぶ教育」につながった同和教育の歴史を大切に思っていることが伝わってきた。
豊中の人権教育の始まりとなった同和教育の大きな転換点として、1971年、今から53年前に同和教育基本方針が出ている。この53年前の同和教育基本方針の中に、個別の教育課題として障害児教育が挙げられていることを、橋本校長は指摘する。
「普通やったら在日外国人教育とかね、そういうのがきてもいいのになぜか障害児教育だけ入ってるんですよ、53年前の同和教育の基本方針に。それでその後、7年経って1978年に障害児教育基本方針が出てるんです。同和教育基本方針の中の10行ほどではもう対応できない、ちゃんと障害児教育について方針を出さないといけない、ということなんでしょう。どうも豊中では障害児教育にかなりの力入れてたというのがわかります。」
方針を公的に出すことで、どのような教育がいいかの根拠となり、抜き出しや分離教育がその方針に反することを明確に示せるようになったという。
しかし、この45年前の時点では、障害があるその子に問題があるという、いわば障害の医療モデルに基づいた書き方になっており、「当時はそれが限界やったと思います」と橋本校長は考察する。
「2000年以降、21世紀に入ったあたりからね、私たちはそこに違和感を感じてきたんですよ。それは違うやろ、社会に克服すべき課題があるんやろって。」
橋本校長らはこの考え方の転換に基づく改訂を教育委員会に訴え続けたが、なかなか改訂には至らず、2016年にようやく改訂された。自身も教育委員会での勤務を経験した橋本校長は、教職員が保護者と向き合う姿勢とくらべ、行政の市民との向き合い方に違和感を感じることもあると言う。
「豊中が積み重ねてきた『ともに学ぶ教育』も、潰してしまおうと思ったら潰せるんです。」
橋本校長は危機感をあらわにした。
こうした危機感に対し、#1でも触れたように、豊中の取り組みを広く発信していくことが必要だと感じ始めたという橋本校長。国の機関からの視察も増えているというが、国の取組について「文科省は多様性をうたって不登校特例校の設置やフリースクールへの予算配分など、学校の外にいろいろつくっているが」と言及し、#2で書いたように学校の中で工夫し、多様な学びを実現する仕組みの実践を増やすべきではないかと疑問を投げかける。
豊中の取り組みを守るためにも、また日本全体の教育をアップデートするためにも、豊中だけではない、もっと大きな国レベルでの方向づけや法整備などが今後は必要になってくる。
個々の子どもの姿を見る教育を紡いでいく
#1の冒頭で紹介した国連の障害者権利委員会からの勧告でも触れられていた、2022年4月に文科省から出された通知(※)は、以下を勧告する内容だ。
原学級に混じって教育を受ける支援学級在籍の児童たちについて ・在籍を通常級にする ・週の授業時数の半分以上を特別支援学級において過ごす
在籍を通常級にしたら教員配置が不足してしまうし、支援学級に籍をおいていることを理由に支援学級で過ごす時間を増やすというのは分離教育の促進につながる。これまで#1〜#3で紹介してきた豊中の「ともに学ぶ教育」の実態を理解していない通知と言わざるを得ない。
この通知に対して豊中は「豊中には豊中のやり方がありますので」と返答し、細かな条件は飲んだものの、基本的にそれまでの実践を変えることはしなかったという。
国連の障害者権利委員会の後押しもあり事なきを得たが、冒頭でも触れた通り、文科省や行政の方針一つで、50年にわたって紡いできた「ともに学ぶ」豊中の実践は、その根幹をゆるがされかねない。
豊中と同じように1970年代からインクルーシブ教育を実践してきた国が、イタリアだ。豊中の「ともに学ぶ教育」は、部落解放運動が原動力の一つになっていたが、イタリアでは、フェミニズムや精神病院廃止の機運とともに障害者の尊厳が議論されるようになった。1971年に国連総会で採択された「知的障害者の権利についての宣言」をうけ、以後イタリア国内では差別や疎外を取り除くための教育環境を整えるための法整備が進む。1975年には通常の学級で障害のある生徒の入学を支援するための基準や方法が示され、1977年には小中学校におけるインクルーシブ教育の保障がより明確にされた。
もちろん法整備だけで現場がうまくいったわけではまったくないが、法の適用によって教員の準備不足などの課題が明確となり、教員や家族、関係機関などを巻き込んだ議論や施策がおこなわれていった。結果的にそうした変化が、すべての生徒一人ひとりを尊重する原則を重視する方向性に学校教育を導くこととなり、教育現場において多様性を認識するという肯定的な成果につながった。さらに1987年には、障害のある生徒が高等学校に通学することを無条件の完全な権利として保証する判決が出ている。
個々の子どもと丁寧に向き合い、地域で育てる豊中の教育を紡いでいくためには、これまでの実践を明らかにし、研究機関と連携してゆるがない成果を示していくことが急務だ。さらに、豊中のともに学ぶ教育だけではなく、イタリアなど諸外国の取り組みも含めてさまざまな実践の研究と現場の声に耳を傾けることを続けながら、国レベルでの大きな教育方針の策定が必須である。
編集後記:世界のインクルーシブ教育
先日、アジアでトップクラスの教育環境と言われるインターナショナルスクールを見学する機会があった。長女が興味を持って見学を申し込んだのだが、アドミッション担当の方は終始ににこやかに、誇らしく案内してくれ、教育環境も授業の仕組みも素晴らしいことがよくわかった。
ところが重度障害のある次女の話になった途端、空気に緊張が走った。
重心児の次女は諸事情により海外暮らしをしているが、受け入れてもらえる学校がみつからず、ここ数年は自宅で過ごしていた。もし長女が入学した場合、毎日とはいわずとも、たとえば行事のときだけでも参加することで、次女も同世代との交流が持てて嬉しいし、他の生徒たちにとってもよい学びの機会が得られるのではないかと思ったのだ。
つたない英語で「行事だけでも参加できたらいいかなって思って・・・」と伝えると、それまでにこやかだったアドミッション担当の方は、「参加…参加っていったいどういう意味?」と急に真顔になった。なんとか意図を伝えようと思ったけれど私の英語力ではうまく伝わらず、「まあ観客として参加するなら全然いいけどね」みたいな感じのことを言われ、続いてアドミッション担当の方はとても誇らしげに説明を始めた。
いやね、この学校すごいインクルーシブですねん。ものごっつい数の国の子どもたちが集まってますからね、肌の色も宗教もそれぞれ。多様性ですねん。国連機関や大使館関係者の御子息から、大企業までランク付けがあって、レベルの高い家庭の子を優先しているんですけどね、とにかくたくさんの子が入りたいゆうて順番待ちしてはるんですわ。もちろん受け入れられると判断した子は障害のある子も通える場所があるんでっせ。でもおたくの次女さんの場合は、リソース的にも設備的にも難しいということですわ。
(※日本語訳は筆者の脳内変換イメージです)
確かに、校内には特別な支援が必要な子の教室もしっかりあって、リハビリや手厚いサポートをうけている様子がよくわかった。でも、それは広い広い学校の敷地内のごく一部。それは豊中のいう「特別な場所をつくらないこと」とか「すべての教員がすべての担当」とかいうこととは真逆をいっている。もちろん悪意はない。こういう整った環境で、優秀な子たち同士切磋琢磨しながら教育をうけたらそら優秀な子が育つだろうな、と思いながら、学校から離れて少し郊外にでると、汚れた衣服を着て裸足でかけまわる子どもたち、車の窓を叩いて物乞いをする子どもたちがたくさんいる。
あの優秀な子どもたちが学ぶ素晴らしい環境の学校で言われる「インクルーシブ」とはいったいなんなのか。世界のトップクラスと言われる教育を受ける子どもたちが学ぶ場に、そもそもいないことになっている子どもがいるということは、いったい何を意味しているのか。
豊中で紡がれてきた教育は、世界に誇れる実践だと強く感じる。だからこそ、世界に考え方を示せるだけの成果を形作ってほしい。そして、それをプレゼンテーションでするための英語力もほしい。(筆者には足りないものばかり…)
トップクラスのインターナショナルスクールを見学した翌日、 同じ国の島嶼部を訪れた。オープンに開かれた学校の敷地に、裸足の子どもたちが集まり、球技を楽しんでいる様子が目に入ってなんだかホッとした。そして同時に思った、トップクラスの教育とはいったいなんなのだろうか。
一人ひとりの子どもたちに向き合う教育が、世界中で実践される日を願って、次女は今も、日本と海外を往復している。
注釈
※1「物言えば唇寒し」でよいのか…松井市長批判し訓告の元校長が申立書https://digital.asahi.com/articles/ASR2P6S38R2MPTIL007.html
※2 文科省 特別支援学級及び通級による指導の適切な運用について(通知)https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/4475/00431549/01_monka_0494.pdf
参考資料
みんなの学校
https://minna-movie.jp/index.php
提言した校長を「現場が分かっていない」と決めつけたが、分かっていないのは松井市長かもしれないhttps://news.yahoo.co.jp/expert/articles/d6b3c88c483b6d0960c11d6e38940e5f9191cc61
法務省 部落差別(同和問題)を解消しましょう
https://www.moj.go.jp/JINKEN/jinken04_00127.html
リバティ大阪(大阪人権博物館)
https://www.liberty.or.jp/index.php
「イタリアのフルインクルーシブ教育」明石書店 アントネット・ムーラ=著 大内進=監修 大内紀彦=訳